何かをやろうとするとき、齢を重ねた人や経験がない人は、そうではない人よりハンディを抱えることになります。あなたがなんらかのハンディを抱えるとしても、それを乗り越えればいいだけのことです。
もし乗り越えられないとしたら、そのための努力と行動を十分にしていません。あるいはハンディを前にして、すでにあきらめてしまっています。
ハンディがあるのは、厳しいことです。だからと言って、それを嘆き悲しんでも始まりません。ほかならぬあなた自身が、「やりたい」と始めたことです。
泣き言を言っているヒマはありません。そんな時間があるのならハンディを埋めるための努力や行動をすべきです。
逆に考えれば、ハンディがあるのは、とてもいいことです。こう言うと、「人の身にもなってください。そんなことはありません」と猛反論する人もいそうです。
ハンディがある人は、ない人に比べれば、やることがたくさんあります。努力や行動も、「ない人」に比べて3倍も4倍もしなければなりません。
確かに苦労は多いです。そのこと自体は否定しません。
それでは、その努力や行動はムダなのでしょうか。あるいはペナルティーなのでしょうか。
そんなことはありません。やりたいことを成し遂げるために、必要なことです。またしなければならないことです。
ハンディがない人は、必要最小限のことしかやりません。やるべきことが少ないのですからそれも当然ですが、最短コースを素早く行こうとします。
ハンディがある人は、必要最小限のことに加えて、ほかにもやるべきことがたくさんあります。時間をかけて、かなり遠回りの道を歩むことになります。
やってきたことに違いが出るのは、その必要最小限のことを済ませたあと。そもそもそれはゴールではなく、やりたいことを始めていくスタートです。
ハンディがある人はスタートラインに着くまでに「ない人」の倍以上の努力と行動をしているので、実はかなりの知識・スキル・経験をすでに得ています。やってきた量が違うから、スタート地点で立派な武器を手にしています。
ハンディがある人は、努力と行動によってそれを逆手にとることで武器に変えることができます。いつの間にか、ハンディのない人を追い越しています。