2019.2.4.

価値ある人間として規定する、、

「将来はプールつきの家に住んで、午前中だけ仕事をして、午後は読書したり料理したりして自由に過ごす。庭に家庭菜園をつくって、いつでも採れたての野菜を食べられるようにもしたい」……

あなたがこんな望みを持っているとします。それは、大いにけっこうなこと。

もっとも、それが実現できるかどうかは、あなた次第です。あなたが努力と行動を怠らなかったら、どれだけの時間がかかるかは別として、その望みは実現します。

今のあなたからすれば、途方もなく遠い望みだとしても、なんら問題はありません。実現するかしないかは、本当にあなた次第です。

今の自分からすれば到底実現できそうもないことを望むこと……。それを「高望み」と言います。

一般的には「しないほうがいい」「するのはよくない」とされがちですが、そんなことはありません。高望みはしていいし、むしろしたほうがいいものです。「このくらいでいいや」と、変に妥協してしまうほうが、よほど有害です

何を望むかは、本人の自由。それに高い/低いはありません。実現可能性が高いか低いかという違いがあるだけのことです。

実現可能性が「低い」のが、高望みではありません。たとえ低くても、本人の努力と行動次第で実現することは十分にあり得ます。

自分次第で実現するかどうか決まるのですから、「こんなことは望んではいけないな」と勝手に決めつけるのは、おかしなことです。自分自身が本当に望んでいるのであれば、実現されるべきです。

高望みするのは、自分自身がそれに「ふさわしい人間である」と認めることでもあります。確かに、今のあなたは、望んでいる人間にはほど遠いです。

「まだ足りないところはあるけれど、これから努力と行動を続けていけば、その望みどおりの人間になる」……

高望みするのは、このように自分自身を「価値のある人間」として規定することでもあります。

その望みにふさわしい人間になると信じているから、尋常ではない努力と行動を続けることができます。

自己肯定感が高まる――。高望みには、そんな効用があります。