片手間や越しかけ気分でやってうまくいくほど、世の中は甘くはありません。いいかげんな態度でやって結果が出るのは、あり得ないことです。全力でやっても、必ずしも結果が出るわけではなく、世の中はそれほど厳しいということ。
それでも結果を出そうと思えば、とにもかくにも全力で取り組んでいくのみです。
全力でやったら、結果が出た。こうなればとてもうれしいですが、一方で不思議なこともあります。それは、次もやらせてもらえない可能性があること。
たとえば、クライアントからオファーされたことに全力で取り組んで、きちんと結果を出したとします。クライアントも大変喜んでくれたのに、「次もお願い」「これからも頼むよ」と言われずにガッカリすることは頻繁に起こります。
最初から1回限定という条件でなければ、それは「次がない」ことを意味します。言い換えれば、引き続きやってもらうには不十分ということ。
求める結果を出したのに、「次がない」のには、理由があります。それは、余力がなかったから。
全力を出し切ったとすれば、そもそも余力など残っているはずがありません。もし余力があるとしたら、手抜きをしている証拠です。
全力を出したのに余力を残すのは明らかに矛盾していますから、戸惑う人が多いのは確かにうなずけます。
精も根も尽き果てると、一種の抜け殻状態になって、「もうこれ以上はムリ」という敬遠する気持ちがカラダ全体に充満しています。このイヤイヤ感が出ているときは、まさに100-100=ゼロ。余力はまったく残っていません。
ここが面白いところなのですが、全力を出し切ったあとに出せる余力もあります。精も根も尽き果てたのは、同じ。
ただし、「もっとできる」というハイな気持ちがカラダ全体に充満しています。このワクワク感が出ているときは、100-100=3とか5になっています。抜け殻状態にはならず、余力もかすかに残っています。
全力を出し切ったとしても、「もうこれ以上はムリ」と思ってしまえば、余力はゼロ。「もっとできる」と思えば、余力は残ります。クライアントは余力を感じず、「いっぱいいっぱいだから、次は難しいな」という合理的な判断をしたにすぎません。
余力を残せるのは、精も根も尽き果てたときに「もうムリ」ではなく、「もっとできる」と思うかどうかで決まります。全力を出し切っても、残せる余力はあります。
(朝の独り言⭐️)
こちらは今日も本当に寒いです。一日中マイナス気温にも慣れました。
今晩は、京セラさんと新しいインプラント補綴についてのミーティングです。歯科医師として、新たな開発やシステムに公開前から携われることは、幸せなことです。今回のシステムは、10年以上前から実現したかったもので、時代と共に患者様に出来るようになり、嬉しく思います。