「いい時代だったな」「若いころはスゴかったよ」「あのころは楽しかったなぁ」……
若いころの武勇伝や、過ぎ去った時代の思い出話にふけることは、誰にでもあることです。そのいずれもが、「昔話」です。
久しぶりに会った旧友とする分にはかまわないですが、酒の席で部下や後輩にするのは好ましくありません。話す本人は気分がよくても、聞いているほうはウンザリするだけです。もっと言うと、時間のムダ。
多くの人がしている昔話は、あくまでも自己満足にすぎません。しているときは懐かしく楽しくても、そこから未来につながる何かが生まれることは皆無。
またそういう話をするのは、「昔が今よりよかった」と白状しているのと同じ。今の自分がまったく成長しておらず、そのために過ぎ去ったいい時代の思い出にすがりついてしまうという悲しい現実を露呈しています。そのことに本人はまったく気づいていないか、薄々気づいているものの知らないフリをしています。
その一方で時間のムダにはならず、むしろ話して(聞いて)おいてよかったと思える昔話もあります。こちらは積極的にしていくべきです。
どういう昔話ならいいのかと言うと、戒めや教訓にできるもの。若いころの大失敗、未熟ゆえに人にかけた迷惑、迷走したりブレブレになったりしたことなど。
総じて自分自身が引き起こしたネガティブなことです。これらを話すのは恥ずかしく感じることもあるかもしれません。だからこそ話す価値があると言えます。
こうしたネガティブなことは、ほかの誰かがいずれ似たような場面で遭遇する可能性が高いものです。そのときになって「あの人が言っていたのはこのことだったのか」と戒めや教訓にできれば、ネガティブな出来事を回避できるかもしれません。
誰かの失敗を回避するためにするもの。それが、昔話です(「花咲かじいさん」や「鶴の恩返し」などもその類です)。戒めや教訓とするのであればいくらでもしていいし、でき得れば不特定多数にしていきます。
酒の席でする昔話は戒めや教訓にすると、するほうにも聞くほう(=部下や後輩)にもメリットがあります。そのことを知っている人は、ごく少数です。
あなたは今日、武勇伝や思い出話にふけることはありませんでしたか。いろいろな人に戒めや教訓となる話をしていましたか?
(朝の独り言☆)
昨日から量子物理学・脳科学について書かれている本を読んでいます。400ページ程あり、最新の欧米の文献などをリサーチしての書籍です。価格も5万近い本ですので、さすがに丁寧に読みました。また、その著者さんとメールでのやり取りをしましたが、経験を積まないと なかなか本当の理解が出来なく 本には、多くの人は頭で理解しても現実を変えられていないものなんです と書かれていました。その言っている意味は 良くわかります。中村天風さんも「多くの人は 話を聞き理解したつもりで学びをやめてしまう。10年経つとほとんどの人がわかったつもりになり学ばなくなるんですよ」と仰っていました。僕自身、年を重ねるごとに潜在意識の価値を感じていますし、全てを潜在意識で考えることができるようになりました。もし、学びを成果に変えられていないのなら、まだ学びの途中 と考えてください。