2020.9.28.

控えめに期待する、、、

されるとうれしいのに、大きすぎるとかえって「ありがた迷惑」に感じてしまうもの……。それが、「期待」です。
 自分の子どもや部下に対して、「これくらいはできるはず」と、都合のいい皮算用を弾いてしまうのは、よくあることです。もしかしたら、あなた自身がそういう親や上司かもしれません。その逆に、親や上司からされたことも少なからずあるはずです。
 期待は、「されない」より「される」ほうがいい……。多くの人は、そう思っています。やはりまった期待くされないのは、さびしいものです。
「うまくいくわけないよ」「ダメに決まっている」「ムリムリムリ」……
 こんなふうに言われると、自分自身の存在を否定されたように感じてしまいます。子どもや部下が、自己肯定感を持てない人になりかねません。
 それでは、されるのがいいのかと言うと、そうは問屋が卸さないものです。「絶対に成功させてくれよ」なんて言われたら、重荷になってきます。
 言われたほうも、期待されていることは肌で感じます。うれしさや喜びもあります。その半面、両肩には重いプレッシャーがのしかかってきます。
そのプレッシャーが、ストレスに変わるのは時間の問題。「成功させなければならない」と肩に力が入りすぎて、自滅してしまう人も少なくありません。
期待をするほうは、相手のことを「能力もポテンシャルもある」と思っているから、つい成果を高く見積もりがちです。それが「ありがた迷惑」たるゆえん。
 相手にすれば、その期待はプレッシャー以外の何ものでもありません。本人も「なんとか期待に応えたい」という気持ちは持っています。いいえ、「期待に応えなければならない」と思って頑張りすぎてしまうから、逆にうまくいかなくなってしまいます。
 されないのは、ダメ。されすぎるのは、もっとダメ……。
こう言うと、「どうすればいいの?」と困惑する人もいそうです。そういう悩みを持つ人のためにあえて言うと、「少し期待するくらいがちょうどいい」になります。
「これくらいやってくれると、うれしい」「キミなら、これくらいはやれるよ」……
 そんな控えめな期待であれば、相手にはプレッシャーにはなりません。また期待されることのうれしさや喜びをエネルギーに変えることができます。
 するのなら、控えめな期待――。これなら、するほうもされるほうもハッピーです。