「勝負はゲタを履くまで分からない」
これは勝負ごとに関する言葉ですが、人生全般に通じて言えることです。何ごとも決着がつくまで、最終的な結果がどうなるかは分からないものです。
スポーツでもゲームセットのその瞬間まで、試合は行われています。どんなに大差をつけられて敗色濃厚でも、逆転する可能性は残されています。
ひょっとしたら、万に1つ、あるいは億に1つの確率で大逆転できるかもしれません。本当にそういうことが起きたとしたら、その理由はハッキリしています。
それは、ゲタを履くまで勝つことをあきらめなかったこと。奇跡は、結果が出るまであきらめなかった人が起こすものです。
万に1つ、あるいは億に1つの確率でも勝つ可能性があるのですから、あきらめたらもったいないことです。こう言うと、「潔くあきらめて次に備えたほうがいいのでは?」という疑問を呈する人もいそうです。
それはもっともらしい意見ではありますが、あえて反論します。万に1つ、あるいは億に1つの確率でもあきらめないほうがいいのは、自分のためになるからです。
ゲタを履くまであきらめなければ、逆転できるかもしれません。その可能性は限りなく低いですが、最後まであきらめないで頑張っていると、あることが見えてきます。
それは、自分自身の実力がつくこと。ゲタを履くまであきらめなかったとしても、勝てずに終わることもあります。それでも全力を出せば、実力がつきます。その頑張りは、必ず次に活きます。実力がアップした次は、もっと頑張れるようになります。
潔くあきらめて次に備えたとしたら、体力は温存されたとしても実力は少しもアップしません。次も同じ結果になる可能性が大です。敗色濃厚で早々にあきらめる人は、そのことを見落としています。
あきらめてしまう人は、たんに目の前の試合を捨てているだけではありません。最後まであきらめずに頑張って実力がアップする機会を逃すことで、次以降の未来も捨てています。これではどちらのほうがもったいないのかは、一目瞭然です。
私が「最後まであきらめない」と言っているのは、目の前のその試合のことだけを指して言っているのではありません。無数に試合が行われる「未来」を失いたくないからなのです。