何をするにおいても、行動を加速させ実現に導く役割を担うもの――。それが、「気合」です。
気合は「ない」よりは「ある」ほうが望ましいです。あるほうが困難を乗り越えるために、力強く向かっていけます。
もっとも、気合のあり方は、人それぞれ。「こうあるべき」という正解は、ありません。
一般的には、仕事が山積みのときには、シャツの袖をまくり上げる。試験勉強するときに、額にハチマチを巻く。あるいは大事なプレゼンテーションの登壇前に、手で頬を叩く……。
こうした動作をすることで、気合を入れようとする人がいます。それらがいいか悪いかは、また別の話です。
反対に、こうした何かしらのアクションをしない人は、「気合が入っていない」のかと言うと、それは明確に否定します。気合を外に出さない、もしくは第三者に見せない人もいます。
言うなれば、内に秘めた気合。外からはうかがい知ることはできませんが、本人の中ではマグマのように気合が燃えたぎっています。触れたら、ヤケドしそうなほどの熱さです。
外に見せる気合は、自分自身を鼓舞するためのもの。同時に、周りにアピールする狙いもあります。それに「いい/悪い」はなく、「合う/合わない」があるだけです。
内に秘めた気合は、自分自身を鼓舞するのはもちろん、冷静沈着であろうとするものです。何がなんでも実現させたいから、われを忘れることなく努めてクールになろうとします。
外に出すのも内に秘めるのも、自由。自分の行動が加速するほうを選ぶべきです。
気合が入っていることをアピールしたければ、多少オーバーでもなんらかのアクションをすればいいです。その行動を評価してくれる人は、少なからずいます。
内に秘めるからと言って、「気合がない」と判断したら浅薄すぎます。気合を誰にも見せなくても、なんの問題もありません。「気合が足りない」などと誰かに指摘されても、気にするまでもないことです。