2016.6.8.

真髄に触れていく・・・

「学ぶ」の語源は、「真似ぶ」にあります。俗に「技を盗む」と言われますが、親や先生、師匠のやっていることを一挙手一投足に至るまでよく観察して、そのとおりにやってみることから、学びは始まります。
真似してみたところで、案の定、最初はうまくいきません。試行錯誤がしばらく続きます。
「こうやるのかな」「何か違うな」「ここをこうすればいいんだ」……
自分で考えながら試していき、少しずつできるようになっていきます。繰り返すうちにコツをつかんで、やがて真似できるようになる、つまり、親・先生・師匠と同じ動作が身についていきます。
もっとも、真似できるようになったからと言って、「学びが身についた」とは言えません。ただカタチだけを真似しているようでは、不十分です。「仏つくって魂入れず」です。
真似ることが学びになるのは、その真髄に触れたときです。親や先生、師匠のやっていることの意味や目的、理由まで理解できていなければ、本当に学んだことにはなりません。
「なぜこうするのだろうか」「なんのためにするのか」「どんな効果があるのか」……
カタチを真似している間にも、そうした問いを自分の中で追求していきます。考えながら真似すると言うより、真似しているうちにそうした問いが浮かんで考えていきます。
何も考えないでただカタチを真似るだけでは、コピーにすぎません。それは親・先生・師匠と同じ動作ができるようになっただけですから、「学んだ」と錯覚している状態です。そこから先を深めることがありません。
カタチを真似しつつ意味や目的、理由までつかめるようになると、その動作の真髄を知ることができます。「もっと学ぼう」という意欲が湧いてきます。親・先生・師匠のしていることを極めたくなって、トコトン追求するようになっていきます。
本当の真似とは、カタチの背後にある真髄に触れることです。この真髄に触れて、さらに極めようとすることが、学びなのです。
あなたは今日、何かを真似ましたか。カタチの背後にある真髄に触れましたか?
(朝の独り言☆)
北原さんと佐島邸で、対談をしました。対談を通じて感じたことは、本物の世界に触れてきた人の魅力です。北原さんとの対談は、本になります。真髄に触れたと言われるような、素晴らしい本にしたいと思います。現在、編集者が最高の9月末に向け本をつくるように、頑張っていますので、楽しみにしていて下さいね。「こうやるのかな」「何か違うな」「ここをこうすればいいんだ」……