神は細部に宿る。大事の前の小事……。
どんな小さなこともイヤがらずに、しっかり取り組むことの大切さを説く言葉はいくつかあります。そういう言葉が人口に膾炙するのは、やはり小さなことを疎かにする人が多いからでもあります。
小さなことは、全体のごくごく一部です。なかには、なんのためにあるのか分からないものもあるかもしれません。
「こんなのは、あってもなくてもいい」「これは意味ないよなぁ」「別にやらなくたっていいよね」……
そう思ってしまったが最後、決して真剣に取り組むことはありません。
いいかげんにやったり手を抜いたりして、済ませてしまいます。
それは、しかるべき人が見れば、「手を抜いたな」と、一発で分かってしまうものです。見破られたほうは「なんで分かったんだろう?」とあっ気にとられますが、「アタマ隠してシリ隠さず」です。
その手を抜いた痕跡は、しっかり残っています。たとえごくごく一部ではあっても……。
一部とは、取るに足らないことでもワン・オブ・ゼムでもありません。それは、ものごとのすべてに通じています。
じっくり見れば、全体が分かってしまうもの――。それが、一部です。
一部とは全体であり、全体とは一部である。禅問答のようですが、これは真実です。
一部は、全体が凝縮されています。
反対に、全体は一部を反映します。
両者はこのように通じ合っているので、たとえ一部を見ただけでも全体が分かってしまうのです。
このことを本質的に知っている人は、どんなに小さなことも疎かにせずに取り組みます。
その一部を真剣にやるから、全体のクオリティーを担保します。もしその一部を「どうでもいいや」と疎かにしたら、全体のクオリティーは低下してしまいます。
一事が万事。「この一部をしっかりやろう」とする人は、結果として全体を高いクオリティーでまとめることができます。いわゆる「できる人」は、どんなに小さなことも疎かにせずに、ほんの一部でも真剣に取り組みます。
できる人の仕事ぶりは、どこを取っても、ムリムダムラがありません。それは、「一部が全体を表す」ことをよく知っているからでもあります。
(朝の独り言)
寒くなりましたね!風邪などひいていませんか?今週は、隙間なくらいのスケジュールです。まさに時間管理の力の見せどころです。