「なんかいいことありそう」「なんかよくないことが起こりそう」……
これから何かを始めようとするにあたって、確固たる根拠はないものの、その結果についてなんとなく「こうなる!」と事前に察知できることがあります。それが、「予感」です。
それが当たることもあれば、外れることもあります。とは言え、科学的根拠があるから当たる、ないから外れるというものではありません。
また予感がかなりの確率で当たる人がいます。その人は科学的根拠をもとにしているのかと言えば、そうではありません。むしろ逆です。
根拠を必要とせずに、なんとなく「こうなる!」という結論めいたものが、自分の中で湧き上がってきます。その精度が高いだけです。
予感とは、自分自身が培ってきた感性による「こうなるのではないかな」という仮説です。言ってしまえば、ただのカンですが、精度の高い人のそれは決してなおざりにできるものではありません。
予感が当たる確率が高い人は、おしなべて感性が豊かです。常に感性を研ぎ澄ましているから、仮説という名のカンが当たるようになります。科学的根拠がなくても、本人にすれば確実性があります。
そもそも感性を豊かにすること自体が、生やさしいことではありません。それは、それまでの全人生をかけて培ってきたもの。
どんなことにも好奇心を持ち、さまざまな経験を積んで教養を磨いてきたから、感性が豊かになります。
何か1つのことを長くやるだけでは、カンタンに感性は豊かにはなりません(例外はあります)。
別の言葉で言えば、それまでの自分自身の人生がバックボーンになったものが、予感です。
好奇心・経験・教養が三位一体となって導き出されたものなのですから、その人が充実した人生を生きてきたのなら、予感がことごとく的中するのは当たり前です。科学的根拠よりもよほど確実性が高いものです。
逆に言えば、予感が当たらない人は、感性が豊かではない人。好奇心・経験・教養のすべてにおいて疎かにしていたから、当たる確率が低いのも理由があることです。
あなたは今日、なんらかの予感がしましたか。感性を豊かにしていましたか?