「ない」ほうがいいと分かっているのに、定期的に現れてなぜか「定着してしまう」ものがあります。別の言い方をすれば、「なくす」努力を懸命にしているにもかからず、いつまで経っても「消えてくれない」ものが存在します。
それが何かと言うと、「争い」です。こう言うと、「そうですね」とため息をつきながら同意してくれる人がたくさんいそうです。
世の中には、争いを経験していない人は1人もいません。「かかわりたくない」と思っているのに、なぜか巻き込まれて、いつの間にかその当事者になってしまうことが多々あります。もしかしたら、今のあなたがまさにその状態にあるのかもしれません。
争いとは、何かを巡って対立すること。国家的なものから、組織同士、友人知人といった仲間同士、はたまた家族間まで、大小を問わず、どこでも発生します。アクシデント的なものもあれば、長期間に及ぶ根深いものもあります。
なぜ争いが起こるのかと言えば、ズバリ、その原因をたった1つに集約することができます。当事者の一部あるいはすべてにおいて、不満があるから。
「もっともらえるのに、これだけしかない」「このやり方では納得できない」……
そんな不満がたとえ最初は小さくても蓄積されていくうちに、大きくなっていきます。やがて何かが引き金となって、争いが起こります。古今東西を通じて、その例外はありません。
逆に言えば、不満さえ解消されれば、争いはなくなるということ。よく「仲よくしよう」「ここは穏便に」と言ってキレイゴトで争いを収めようとする人がいますが、逆効果です。
何ごともなかったかのように表面だけを取り繕おうとするのは、怒りのマグマをためているのと同じ。爆発してしまえば、地獄絵図のような争いが続きます。
争いをなくすには、1にも2にも当事者すべての不満をなくすこと。不満の芽が出そうになったら、速やかに解消する地味で地道な行動を続けていくしかありません。
もし身の回りに争いごとが絶えないとしたら、不満の芽を摘み取ることをしていないから。誰に頼まれたわけでもなく、自発的にその行動を1日も怠ることなく続けていけば、いつしか争いとは無縁の境地に到達することができます。
あなたは今日、争いとは無縁でいられましたか。自分を含めた周りの人の不満の芽を摘み取る行動をしていましたか?
(朝の独り言)
今日は、朝から一日中手術です。最後は、21時過ぎになりますので、とにかく安全を第一に行なっています。また、開業28年にもなりますと、インプラントなどされているメインテナンスの患者さんも90歳前後の方もいらっしゃいます。遠くから来院している方に、家の近くを紹介して欲しいと言われました。確かに、近くが良いですよね。今までずっと来院して下さった事に 感謝しかありません。