2022.6.24.

毎日テストを受ける、、、

 人生とは、「毎日テストを受けている」ようなものです。なんのテストなのか、何時から始まって何時に終わるのか、また正解や合否の基準なども不明。

今、自分がどんなテストを受けているのか、そもそも受けているのかいないのかも分からない……。そんな不明瞭さがつきもの。「これがテストだったのか!」と、だいぶあとになって分かることもしばしば。

「もっと真剣にやっておけば……」と悔しがっても、あとの祭り。1日24時間の一瞬一瞬がテスト。そんな気の抜けない日々を過ごしています。

反対に、「これはテストだ」と思っていたことが全然関係がなかったということもあり得ます。「ムキになってやってソンした」と思うこともありますが、それはそれでムダにはなりません。いずれ頑張ったことが役に立つときが来ます。

受けているのかいないのか分からないテストは、気が抜けないし、確かに怖いです。それでも、そのことに文句を言っても何も始まりません。

テストかそうではないか分からずに、ともかく目の前のことに全力で取り組む――。そういう人は、ほぼ例外なくいつも高得点(結果)を叩き出します。

 いつでも目の前のことに全力で取り組むのは、テストと、そうでないときを区別していないということ。こういう状態にしていると、コンスタントに高得点を叩き出せる体質になっています。「ここぞ」というときでも肩に力が入ったり緊張したりすることもありません。それは、テストかそうでないかを区別していないから。

テストだからしっかりやる。テストではないから、適当に流す……。そういう人は山ほどいますが、あまりいい得点(結果)を出すことができずにいます。

こういう「ムラがある」人は、「ここぞ」というときに必要以上に張り切っているものの、持っている力を出すことができません。本人の思惑とは異なり、「ここぞ」というときに結果を出せないで終わります。

その落胆ぶりが尾を引いて、ふだんのテストではないときにも力を出そうとしなくなります。ついには恒常的に結果を出せない体質になっていきます。

結果にムラがあるのは、自分自身がいつも目の前のことに全力で取り組んでいないからでもあります。

こうして見ていくと、「どんなときでもテスト」と思うことは、自分自身のためになります。気が抜けないし怖いところもありますが、「悪い」ことでもありません。

(朝の独り言☆)
武田双雲さんが、『「ありがとう」の教科書』という本を出版されました。「ありがとう」という言葉を 皆さんは一日でどのくらい使われていますか。私は 母親が病気で入院している時、病室へ行く度に「ありがとう」「感謝しているよ」と母から言われました。ある時、これは凄く大切な言葉だと深く感じたのを覚えています。
母は他界しましたが、後に残された私は 悲しさよりも 素敵な時間を過ごし大切なことを教えてくれた母に、今も感謝の気持ちで満たされています。その後、「ありがとう」という言葉の力や価値を凄く感じました。
今回の本は、まさに「ありがとう」という言葉がいかに大切であるか、どのような場面でも「ありがとう」という言葉が、人生を良き方向へ導いてくれるかを伝えています。武田双雲さんには、私の二冊目『奇跡力』という本のカバーを書いて頂いたご縁でもあります。是非、「ありがとう」という言葉を大切に 皆さんも毎日過ごして下さい。